プロフィール

 

 

 

 

きっかけは「これで良し」と言って死にたい

 

オートバイが好きだったボクは

機械いじりが得意だったけれど

「好きを仕事に」ではなく「好き」と「仕事」は分けたくて

ビルメンテナンスの会社に高卒で就職したのでした

 

 

特に夢も目標もなく得意を活かして

仕事が出来たらそれで良かった

 

ただ、でも・・・何だか満たされない毎日でした

 

このまま歳をとって

上司の様な人生を送る

そう考えた時に

背筋がゾッとしたのを覚えています

(当時は憧れる存在の上司もいなかったのです)

 

当時のボクが知っている

狭い世界観では

これを「人生」と呼んでいたから

この生活だけで終わるの嫌だと

漠然と感じていました

 

この時間の流れを

何とかしなければならないと

必死にもがいている頃

 

愛読していたオートバイ雑誌に

お坊さんのコラムがあり

そこに書かれていた、

「これで良しという生き方」という題名に

目が止まり心に残りました

 

内容は

病気で余命わずかな男性が

病院で最後の時に家族に見守られながら

寝姿を整え「これで良し」と言ってから亡くなったという内容でした

 

この男性の様に

人生の最後に「これで良し」と言える生き方をしたいものだ 

と書いてあった

 

「そうだ!これだ!」

 

雑誌のコラムを読みながら1人で大きく肯いていた

人生の最後に「これで良し」と言える生き方の為にいま何が出来るのか?

 

散々悩んでいる時に先輩から教えてもらったのは

「ワーキングホリデー」というビザの存在でした

 

さっそく本屋でワーキングホリデーのガイドブックを購入すると

そこには「オーストラリア大陸をオートバイで一周」という手記が載っていた

 

「これだ!」

 

これで良しの第一弾は

“オートバイでオーストラリアを1周する” 

という計画だった

 

(*旅の話はまた別の記事に書きますね)

 

 

 

帰国後から自分探しの旅が始まった

 

合計20カ国を旅して帰国したのは1999年

世の中は2000年問題で湧いていたけど

なんの事だかさっぱり分からなかった

 

高卒で資格もなく社会人経験も乏しいクセに

「世界を1人で旅してきた」という

根拠のない自信だけがナゼかあった

 

“言葉の通じない国をさまよってきたんだ

言葉わかる自分の国なら何とかなるはずだ”

 

新しい自分になりたくて

様々な職種にチャレンジするが

高卒のフーテン上がりが

社会復帰するのは簡単ではなかったです

 

家族、親戚、友達からも

“ロクデナシ”の烙印を押される始末

そりゃそうだよね

留学して学位を取得して帰国した訳じゃない

 

ただ、フラフラしていただけ・・・

 

地元を逃げるように飛び出して

安アパートで雨風をしのいで

日雇い肉体労働で日銭を稼ぐ日々

 

「何がしたいのか?」

「何ができるのか?」

 

根拠のない自信と

社会性の無い自分

 

どうやって結び付けて良いのか

まったく分からなかった

 

何も無いのに

何者かになりたがっていた

 

当時は「世の中金だ」って思って

金があれば世の中から認められる

だから稼げる仕事をしよう

そんな思考で「稼げます!」という求人広告ばかり

追いかけていた

 

“あてのない旅は

身にも骨にもなりません”

 

そんな恩師の言葉を

旅の魅力に取り憑かれた勢いで

振り切ってしまった事が

悔やまれた

 

帰国してからが

旅の始まりだった

 

苦しい旅

無様な自分と向き合わざるをえない旅

 

図書館で自己啓発と偉人伝を読み漁り

逆境から事業を成功させた人の話に

自分を重ねて現実逃避した

 

 

建設現場、工場、飲食店、便利屋、営業職・・・

仕事と住居を転々として何も見つからないまま

旅の話を「旅のノンフィクション大賞」に応募してみたり

ラジオのDJに応募してみたり

物作りをしようと「窯業訓練校」受験してみたり

時間を浪費していた

 

日雇い生活を続けている時に

男性看護師に出会った

「今は男性の看護師も増えましたよ」

 

そんな話を聞いて

医療・福祉に興味が湧き始める

 

いろいろ調べながら

旅をしてきた事はボクの人生の中の

「これで良し」と言える体験のひとつなのは

間違いは無い

 

旅の最中

入国審査では「JAPAN」の

パスポートの信用力の高さを

何度も痛感したことを思い出し

 

 

この「JAPAN」に恩返しをしよう

 

「稼げる・儲かる」はいったん横に置いて

自分の進む道を考え

とりあえず「ホームヘルパー2級」を受講

 

これが福祉への入り口だった

 

 

 

福祉、介護という仕事について

 

病院の滅菌室でアルバイトをしながら

夜間のホームヘルパー2級の講座に通っていました

 

ある日

登録していたドライバー派遣会社から

「デイサービスの運転手兼ヘルパー助手」の仕事を紹介さた

介護の勉強もちょうどしているし

勉強しながら実践だ

 

「やってみなければ分からない」

そう思いつつ

内心「介護なんて向いてないから3日で嫌になるだろう」

その程度の覚悟で臨んだ

(ダメな奴だ)

 

いま考えると

とても働きやすい職場だった

職員さんも優しくて

雰囲気も良かった

 

介護の「か」の字も知らないボクに

丁寧に指導してくれた

 

3日はあっという間に過ぎた

契約終了の6ヶ月間

片道1時間30分かけて通った

 

デイサービスの隅でタバコをふかし

全ての人と距離をおいているおじいさんと

将棋をしたり

毎日来ているおばあさんと折り紙をしたり

やがて

排泄介助や入浴介助を経験し

仕事をひとつ覚える度に

誰かの役に立っている実感があった

 

そう、“ロクデナシ”のボクが

誰かの役に立っている

 

それを実感出来たのが “介護” だった

 

(何かに自信を失った人は

介護という仕事を経験してみればいい

ボランティアでもいいから

誰でも誰かの役に立てる事が実感できる)

 

 

ホームヘルパー2級の講座を終え

派遣の契約終了後には

「もっと色々な現場を体験したい」と思い

新たな派遣会社に登録し

デイサービス、有料老人ホーム、老人保健施設、

特別養護老人ホーム、高専賃(サ高住)など

様々な形態の施設での勤務を経験した

 

いま、振り返ると

派遣社員での経験はとても貴重だった

 

派遣される現場は確実に「人手不足」の状態

現場では即戦力が求められるから

「出来ない」は通用しない(と思っている)

経験のない業務は「教えてください」と言って

決して「出来ない」とは言わなかった

 

そしてお客様は2人(2種類)いる

まず、派遣先の職員さん

そして、入居者さん

 

現場の職員さんに認められなければ

入居者さんにも認められない

どちらか片方はあり得ない

両者から認められてはじめて

派遣社員の価値が評価されるのだと思う

 

そういう覚悟で仕事に挑んでいた

なぜなら現場の非常勤さんより時給高い

現場によっては「派遣社員」への風当たりは強い

それくらいの意識で仕事をしないと

すぐに干される

 

つまり契約更新や次の紹介に繋がらない

 

とはいえ

現場に溶け込んで2人のお客様からも信頼されても

新卒などの直接採用があれば派遣契約は終了になる

 

一定期間で職場が変わる生活だけど

ボクみたいな放浪癖がある人間には

この働き方は向いていた

 

 

 

新たな挑戦と挫折

 

派遣社員として色々な介護現場を渡り歩いていると

様々な現場の経験を積めるという利点があるものの

契約終了の月に来月の仕事が決まっていない

という不安定さも経験

綱渡り生活も辛くなってきた時に

知人の紹介で就職先が決まった

 

就職先は有料老人ホーム

 

ホーム長は1年ほど前に就任し

改革をしている最中

 

どうやらそれまでは

ホーム内の秩序が乱れ

ひどい状態だったと後日聞かされた

 

介護主任はそんな改革に反発して退職

ホーム長が介護主任も兼任していて

後任を探していたそうです

 

そこに中途採用のボクが

このホームに染まっていないという事もあり

入社半年で「介護主任」になった

 

課題は山積み

ホーム長、看護主任、ケアマネに

3方を囲まれる立ち位置だ

 

ひたすら介護職員に指示を出し

業務改善に悩み

眉間にシワを寄せている日々

 

それでも

改善依頼は毎日のように押し寄せる

 

「あれが出来ていない」

「これが出来ていない」

「しっかり指導して」

「ヒヤリハットの分析はしているの?」

 

やってもやっても

追われている日々

険しい表情が日常になっていた

 

介護職員からは

「あの人が仕事をサボる」

「この人が嫌がらせをする」

人間関係のトラブルが尽きない

 

全てに全力で向き合っていたが

まったく出口が見えなかった

 

そんな日々を過ごしていた頃

休日の夜にホーム長から電話があった

 

「いまケアマネが来て

みんなが主任を辞めさせるための

署名活動をするって話が出たけれどどういう事?」

 

「・・・?」

聞きたいのはコッチの方だ

 

「わかりました、明日出勤したら職員に聞いてみます」

 

電話を切ってから考えた

 

 

“職員が辞めさせる為の署名活動したいと

思うまでの事を自分がしたのだ”

 

主任として力不足だったんだ

「みんなに謝ろう」

そう思い立ち

翌日から職員全員に対して

謝り行脚を行った

 

そうすると不思議と

実態が見えてきた

 

「ボクの態度がみんなを不愉快にさせてしまい申し訳ない」

というと

 

「そうですよ、いつも怖い顔して・・」

という人もいれば

 

「え、そう? 頑張ってるじゃない」

「私は別になんとも思っていないけど・・」

 

様々な反応で

「みんな」という言葉に反応していたボクは

「みんな」は、全員じゃない

という事を実感

 

後日、この騒動がきっかけで

いろいろ解明されていくのですが

 

結局、看護主任とケアマネが

策を講じていたことが判明

 

2人がボクに業務改善の重圧をかける

ボクは介護職員に業務改善の重圧をかける

介護職員はボクの不満を2人にこぼす

 

結果「不評な介護主任」の出来上がり!

 

そんな構図だった

 

本社も介入してきて

問題は拡大した

 

看護主任とケアマネは異動の辞令が出るが

2人共のちに退職

ホーム長は体調不良になり休職

 

本社から

「主任が潰れたらこのホームは終わる」と告げられ

なんとか踏ん張り続ける

 

本社の改革チームとぶつかりながら

なんとか運営維持に努める

 

後任のホーム長、看護師、ケアマネが来るが

チームの歯車がそう簡単には合わない

 

今までのケアが継続できず

入居者様の体調が悪化

入院先から戻らない方もいた

 

施設内の人間関係トラブルで

入居者様の人生が左右されてしまうという

最悪な経験をした

 

後任のホーム長とは

波長が合わず

降格になり

やがてボクは退職した

 

 

 

再出発と新たな課題

 

退職してからは

反省したり

落ち込んだり

怒りに満たされたり

 

感情が落ち着かないが

とはいえ仕事をしないと

生活ができないので

再び派遣社員に戻る

 

 

派遣社員で生活しながら

就職活動をして

特別養護老人ホームに就職

 

“今度は役職に就かず

おとなしく仕事をしよう”

 

そう心に決めつつ

前回の介護主任としての失敗を反省して

コミュニケーション技術改善の為

・産業カウンセラー養成講座

・コーチングスクール

に通った

 

 

その時に“メンタルコーチ”という仕事の存在を知り

介護から離れることも視野に入れる

 

コミュニケーションを学びながら

介護福祉士の資格取得を目指し

学びと資格を力を注いでました

(*詳しく介護の資格で書きますね)

 

“おとなしく仕事をしよう”

というボクの気持ちとは裏腹に

 

入職3ヶ月でユニットリーダーに就任

辞令には逆えず・・・

 

「今度は失敗したくない」と心に刻み

覚えたコミュニケーション技術をフル活用して

ユニットリーダーの役を務めた

 

開設して4年目の施設だったが

施設長は3人目で

施設内はバタバタの状態

 

派遣社員で渡り歩いていた頃

よく経験した雰囲気だった

 

何故かこの施設も

当時新任した施設長と合わない主任が退職して

介護主任が不在

施設長の直下にユニットリーダーが配置されていた

 

“やるなら本気で”と

向き合ったユニットリーダー

どんどんユニット内の雰囲気は変化して

安定運営に変わっていった

 

そんなある日

今度は「介護副主任」に昇格し

混乱しているユニットの改革を任命される

 

そこは

派閥争いの末に崩壊したユニットだった

職員のひとりは

「ここはアナーキーです」(無秩序状態)って

表現していた

 

 

 

人財育成とチーム改革に目覚める

 

介護副主任として介入したそのユニットの状態は

派閥を巻き起こした両リーダーはすでに退職していて

暫定的に任命されたリーダーが現場を回していた

 

人員不足もあり

シフトに入りながらの

チーム改革が始まった

 

このパターンが改革には早い

自分がシフトに入る事で

チームの改善案を見つけやすい

 

最初に手掛けたのは

“環境整備”

動線が悪かったり

不要な物が多かったり

整理整頓が必要だったり

 

 

改革の必要なチームには

環境に問題がある事が多い

 

まずは

働きやすい環境を創る

 

これには

2つの大きな意味がある

(*詳しくはチーム改革の記事で)

 

・環境を変え

・帳票類など手順を変え

・ミーティング等のコミュニケーション変え

・リーダーの意識改革にも着手

 

そうやって改革の渦を

中心から徐々に巻いていく

 

やがてチーム全体が動き出す

 

変化は直接お客様に届いた

ご家族懇談会の場で

毎日の様に食事介助に来ていた

ご家族さんが

 

「以前は職員さんの言葉使いとか

ちょっとひどいな、って思っていたんですね

ですが、最近は変わって

とても良くなりました」

 

そうやって変化を教えてくれました

 

数値化しにくい介護の仕事ですが

こうした変化をお客様に感じてもらえて

自分達の仕事の評価を得る事ができました

 

この時の出来事は

コーチングを使ったチーム改革を

エッセイに書かせてもらえる機会にも恵まれました

 

 

軌道に乗ったこのユニットを離れ

 

今度はリーダーとメンバーの間に

大きな溝が出来て

“ リーダー 対 メンバー ” と

こじれてしまったユニットに介入

 

 

 

新たな道に挑戦

 

こうして施設内のチーム改革を

行っていくうちに

 

“同じ様な事で悩んでいる施設は

他にもたくさんあるんじゃないか?”

 

そう思う様になり

このままこの施設の管理職を継続するより

この経験を活かして何か出来ないか?と

放浪癖がムズムズと顔を出してきたのです

 

ちょうどそんな時に

知人から講師の仕事の紹介があり

「飛び出すなら今だ!」とばかりに

退職して未知の世界に飛び出してしまった

 

完全に見切り発車で

講師の仕事は直前で消滅してしまった

 

独自の活動を開始

介護の勉強会などに顔を出し

 

“コーチングでチーム改革を行い

人財定着を実現させます”

 

そんな趣旨で

セミナーや勉強会を実施するが・・・

 

ビジネス音痴は

すぐに行き詰まる

 

生活の為に

再び特別養護老人ホームに就職する

 

今度は

新規開設のユニットリーダーを

任せてもらえる事になった

 

前回の様に

途中からチーム改革をする事に比べたら

 

新規のチームビルディングは

なんともやり易かった

 

タックマンモデルを活用し

コーチングを使った個別面談を導入し

ボトムアップを意識して

チームを創っていく

 

開設から約2年後に

全社員に

従業員意識調査が行われ

 

ボクがリーダーを務めたユニットは

【上司の信頼満足度】

【職場の人間関係満足度】

ともに “ 81.7% ” という結果で

施設内でトップになった

 

 

 

 

現在は環境を変え

介護現場の改善に向けて

活動しています

 

次の課題は

“ リーダーの育成 ”

いままで活用した

「考え方」と「やり方」を

必要な人に伝えています

 

 

 

取得資格や受講講座

 

・ホームヘルパー2級、1級

・介護福祉士

・介護福祉経営士2級、1級

 

・産業カウンセラー養成講座

・チームフロープロコーチ養成スクール

・アンガーマネジメントファシリテーター養成講座

 

 

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